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考察:花消費のメインカテゴリー 洋の東西における違い②

2012.10.24

前回の続きです。

 

「洋の東西における」違いと申しましても、川崎景介先生の考花学では日本の文化についての考察でしたので、厳密には「西洋と日本における」違いです。

 

どの国においても現在では装飾のために無意識のうちに花や植物のモチーフを身にまといます。その「植物を身に付ける」という文化の原点はどこにあるのか。

川崎先生のお話しをまとめさせていただきたいと思います。

 

まず今回は西洋の場合です。

 

西洋では、花の用途は花に香りやその効能を求めることに始まりました。教会の裏庭でハーブを作り始めたのがイングリッシュガーデンの発祥と言われますが、そのハーブ作りも薬効を期待してのことです。

また、それは中世ヨーロッパの衛生環境がすこぶる悪かったことに起因します。街そのものが相当悪臭を放っていたであろうと言われます。そこで「臭いは臭いで消す」という発想が西洋の文化です。体臭然りです。その文化はもちろん現在でも引き継がれており、西洋の方々は特に男性の香水使用量が多いことは、皆さまもお気づきのところかと存じます。大田市場でも西洋からのお客様がたくさんいらっしゃる日は、同じフローラルな香りといっても、天然の花ではなく、香水の香りが廊下に充満します。

香りはすれども姿は見えず。“外国からお客様がたくさんいらしている”と臭いで察知することができるほどです。 

 

一方、日本人の場合は、基本的には臭いものは根源から取り除くという発想を持っていました。匂い袋携行の文化もありましたが、日本には水が潤沢にありましたので、体についた臭いはその根源を洗い落とす文化というでした。

 

現在でも入浴頻度は西洋と日本では大きく違います。日本ではほぼ毎日ですが、西洋で毎日入浴している人はあまりいないでしょう。西洋は湿度も低いですし、入浴の必要性と歴史的な文化の違いがそうさせているのかもしれません。

清潔好きな日本人が、留学中のホームステイ先で毎日お風呂に入ろうとすると嫌がられるというのはよくある話です。特に英国などではお湯の値段が高いのですが、スチューデントを預かり、収入源にしているようなご家庭にとっては、高いお湯をまさに「湯水のように使」われると、大変迷惑なのです。アタクシも洗髪は一度で済むようリンスインシャンプーを使い、シャワータイムが短時間で済むように努めたものでした。

日本では「湯水のように使う」と表現しますが、お湯が無駄遣いの代名詞になるくらい潤沢に不自由なくあったということです。ですから、臭いは元から断つというのが当たり前だったのです。

 

西洋の話に戻って、「臭いは臭いで消す」という消臭文化があったからこそ、花や植物を使う、身に付けるという習慣が生まれました。

悪い臭い=病気の元

良い臭い=悪臭退治の薬、病気を良くする薬

臭いには良いものと悪いものとがあり、善悪の象徴でもありました。

 

実際の薬としての使用例は、11世紀のペルシャ人医師イブン・シーナーが花から精油を作り、薬としていたという話に始まり、大まかに次のような歴史を辿ります。

★15世紀(ルネサンス期) 気付け薬として使用された

哲学者マルシリオ・フィチーノは、気付け薬として「スミレ、ミント、ヘンルーダを持ち歩きなさい」というお触れを出す。

同時に「良い女性は良い香りがする」という概念が定着しつつあり、良い香りがする花がアクセサリーとなっていく原点となる。

ヘンルーダとは何かと思いましたが、ミカン科の常緑小低木で、日本でも江戸時代には精油成分が鎮痙剤や駆虫剤にも使われたもののようです。シトラス系というだけでいい香りがすることがわかりますね。

 

★16世紀 身だしなみとして定着

時の英国女王エリザベスⅠ世は、大の香りファンであったことが伝えられています。女王特製の香水としてマジョラムとベンジャミンを水に浸して煮詰めたものを作らせ、毎日衣服に振りかけていたといいます。

徐々に自分だけでなく「みんなも衣服に香水をかけるように!」とお触れを出しました。上流階級の人たちの間では、生活の中に香りを取り込むために、庭に植物があることが普通になっていきました。

 

★17世紀 ノーズゲイの誕生

ノーズゲイ=Nosegay=鼻の喜び、つまり香りを楽しむ花束のこと。タッジーマッジーやポージーなどと同じ類の物で、花を束ねてプレゼントなどに使われる。

英国やフランスを中心にこのノーズゲイを携行する文化が流行となった。当時のノーズゲイは現在のアクセサリーと同じ役割を持っており、このころから芳香を保ちながらも、女性を華やかに見せる装飾的な意味合いを持つようになった。嗅覚よりも視覚的要素が大きくなっていったというわけです。

また、「持つ」「携行する」ものから、衣服のふりふりやプリーツの間に挿すものになって行きました。これが今でいうコサージュの原点です。

 

★18世紀 産業革命 ブーケ革命

英国に生まれた「一般庶民」にポージーやノーズゲイも徐々に浸透してきます。その文化の浸透とともに、「自分で花を束ねること」が淑女の嗜みとされました。これにあやかり、モナコののグレース王妃は自分の結婚式の際は、自らスズランを束ねウェディングブーケを作りました。(検索エンジンにかけてみると、そのブーケが出てきますので、よろしければご覧ください)

庶民に浸透した携行型のブーケですが、それを持ってパーティなど人が集まるところに行くと、テーブルに置くようになりました。しかしテーブルに置くには、ポージーやノーズゲイのスタイルでは倒れてしまうので、ガラス瓶に挿すようになりました。

これがフラワーアレンジメントの原点となります。

 

★19世紀 お花屋さんの誕生

庶民に浸透し、徐々に花の需要が大きくなったころ、英国やフランスなどでお花屋さんが生まれる。お花屋さんはたくさん花を売りたいから、大きな花束を作るようになっていく。

 

という変遷を辿り、現在のフラワーアレンジメントに行きつくのです。

 

また、結婚式に持つブーケの変遷にしても、以前はリース(花輪)にして頭に載せるのが通例であったようです。18世紀以前、花嫁はブーケは持っていないのです。(そのリースによく使われていたのはギンバイカかオレンジの花。オレンジの花は子孫繁栄、五穀豊穣の象徴)

このリースが徐々に人工的なものになり、現在のティアラとなっています。ですから、ティアラは花のモチーフがデザインされたものが多いですね。

川崎先生のお話を伺い、なるほどと思いました。

 

束ねて装飾として頭に載せるとハンズフリーになるから便利だったわけですね。

しかし、キリスト教勢力の拡大に伴い、頭に載せていると宗教上異端児扱いされるようになりました。

そこで、携行せず、家の中に置いて楽しむようになったとういことです。それが、テーブルの花だったり暖炉の上に置かれていたり。現在のホームユースの原型ということですね。

 

なるほど、現在に至っても西洋でホームユースが多いというのはこのような歴史があるからなのですね。

 

 

というのが、受講後の個人的な理解です。川崎先生の内容との若干の相違がある場合はご容赦ください。

 

 

・・・次回、「日本における花使いの原点」に続く・・・

 

 

 

 

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