OPERATIONAL PERFORMANCE花研コーヒーブレイク

(花研ブロガー2号的)・・・70年目の不安

2015.08.06

広島の原爆投下から70年。広島の記念式典では、広島の花き卸売市場花満さんをはじめとし、花き取引・生産に携わる方々により1.1万本の花が無償提供され装飾が施されました。メディアを通して拝見するだけですが、式場にはきれいな黄菊の祭壇が作られました。

終戦70年目を迎えますが、私たちの世代が生まれたころはまだ戦後ほんの30年程度だったことになります。既にそれよりも長い時間を生きているを考えると、実はまだ生まれたころは終戦直後に近かったんだなと思うことがあります。

 

最近気になること。

声を出した人の発言力ばかりが妙に大きく取り上げられてしまうということ。そして、実際その通りに社会が動いて行ってしまうことです。何が正しいか、どうあるべきか、あるいはその他の人たちはどのように考えているのかという点は後回しになり、声を上げた一部の人たちに従って物事が決まって行ってしまう、そんなことによく遭遇するようになったような気がします。

例えば、戦争を描いた漫画“「はだしのゲン」の絵が怖いとか見るに忍びない”という理由で、学校の図書館から撤去されたということがありました。

最近では、ある子供の学習帳の表紙に掲載された“昆虫の写真が気持ち悪い”という理由から、いとも簡単に昆虫の写真が外される(現在はまた戻ったようですが)ということがありました。

あるいは動物園のおサルちゃんに付けられた名前が、英国王室のニューベイビーに因んでいるからと非難され、変えるべきかどうか大きな問題を呼びました。では犬だったらいいのか?それとも動物は全部だめなのか、シャーロットとという名前は人にだけ名付けられる特権ネームなのか、いずれも全体を見ることなく、1点のみを見て非難するパターンのように思います。木を見て森を見ず、危ないから森林を伐採しましょうと動いた結果のような印象でした。

 

戦後70年の今年、各種メディアでは戦争や原爆投下後の広島の特集を組んでいるのを頻繁に見かけます。新聞でもテレビでも見ていると涙が出るほどやりきれない気持ちになります。

それと同時に不安になることも。

世の中が好景気になってきて、戦争の傷が風化すると、そのような戦争を伝えるための重要な番組も、怖いとか見ていてつらいとかいう理由で少なくなっていってしまうのではないか、とういことです。

平和がいい、自由が当たり前、楽しいこと大好きモードになってくると、恐らくどのメディアでもあまり残酷だった戦争の映像は使いにくくなってきたりはしないだろうか。戦後、時間を経過したからこそ分かってきた当時の実情などもあるようです。しかし、それらはむしろ誰かの都合により隠されてきて、今明らかになる。今だからこそ伝えられるのに、残酷なことはもう知りたくないと思うムードが高まって来はしまいか。既に「はだしのゲン」がそう言われているように、戦争の報道全般に対しても生活者が「見ていて怖いから見たくない」などと言い出しはしまいか、と。

そのような危惧を感じた8月6日でもありました。

もし一部の生活者が戦争に目を背けるような発言をしたとしても、日本のメディアは100年後も変わらず戦争を伝えていっていただきたいと思います。

pagetop