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「江戸の園芸」に見るバラの存在

2013.08.20

 

江戸東京博物館で開催されている「江戸の園芸」を見に行って思ったことの一つ。

 

バラは展示の最終ステージである第5章に出てくる。もっといえば、数多くの資料が展示されている中、バラは最終章まで登場しない。

最終章には、江戸末期から明治初期にかけての園芸についてまとめた資料が展示してあるのだが、展示数はほかの章に比べると比較にならないくらい少ない。その中で今までの雰囲気をガラリと変えて見せているのはなんといってもバラの存在が大きい。

今でこそ、花の女王として最も知名度の高い花なのに、日本史上、最も園芸文化が盛んだった江戸時代にはバラが表立って愛でられることは末期を迎えるまでなかったのだ。

バラはそもそも日本にも自生している花なのに、なぜこんなにも地味な存在だったのか。

 

それは、江戸時代まではやはり植物も「縁起物」としての役割が大きかったからではないかと思う。

松竹梅に福寿草、長生草、富貴蘭などなど。オモトに至っては微細な違いをも観察し、種々を一覧にするほどの肩入れぶり。これは現在でいう「オタク」文化といっても過言ではないほどのマニアぶりで、奇品園芸といって学ぶことで理解できる価値として武家社会で広がった園芸文化である。

一方、バラはと言えば縁起という点では思い当たる節がない。トゲがあるし、そもそも語源はイバラだから「イバラの道」と聞けば誰でも縁起の良いものを思い浮かべることはないだろう。

 

ところが、黒船来航、鹿鳴館ができて文明開化の幕が明ける頃、西洋文化が一気に押し寄せ、日本人の価値観は一気に変わっていった。

魚が好きでも“カッコいい”からと肉を食べ、着物が着易くても“これが流行り”だからと西洋のドレスを着た。

花も同じ、福寿草やオモトの縁起が良いのは分かっていても、文明開化とともにバラが美しいからとバラを愛でるようになったのではないか。

 

例えばアジサイもバラの類の花ではないかと思う。

「水の器」とか「七変化」「八仙花」「手毬花」「よひら」などあまたの別名を持つアジサイといえども、いずれもとりわけ縁起の良い名前ではない。そもそもアジサイは寺の裏庭などじめじめとした暗くて湿度の高い所に自生するもので、おまけに毒があるとわかっていたとしたら、人々はその姿にめでたさを感じなかったのかもしれない。

 

しかしそのアジサイの美しさに目を付けたドイツ人医師シーボルトはその美しさを見極める目があった。薬草や消臭など、その効能から植物使いが始まったヨーロッパの園芸においても、既に「見て美しい」文化が受け入れられていたからだろう。

そして、日本でも文明開化の鐘とともに華やかなバラやアジサイの姿を受け入れられるようになっていく。

 

日本の古来からの食文化を見ても花の文化を見ても、いつの時代も人々は縁起を担いできたように思う。冬至に「ん」の付く物を食べるのは「運が付くように」、柚子風呂に入るのは「融通が利くように」、子どもの日に菖蒲を使うのは、「尚武」に通じることから。挙げてみればきりがない。

 

日本人はいつの時代も自然が不安定で地震や津波、台風、噴火、雷、飢饉など数知れない災害に悩まされてきた。これだけ縁起を担ぐというのは、それだけ日々の平穏な生活に対する神頼み的な機運が強かったということなのかもしれない。

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