OPERATIONAL PERFORMANCE花研コーヒーブレイク

シドッチ神父

2016.11.15

なんだかほんとにただの日記です。本日のコーヒーブレイク。

 

先週末、上野の国立科学博物館で江戸時代のカトリック司祭“シドッチ神父の生涯について”、彼の実際の遺骨とともに特設会場で紹介されていました。(その隣でやっていたシーボルト展-12月4日まで-については、また機を改めて♪)

 

2014年ころ文京区の小日向という、都心のとても良い場所にマンション建設が計画されましたが、何かが見つかって工事が頓挫したというニュースをうっすら覚えています。なんと、そのマンション建設地から出土したのは、シドッチ神父の遺骨だったのです!日本人夫婦と合わせ3体の人骨が発掘調査で出土しました。そのためにマンション建設が中止になったかと思うと、2年前のうっすらとした記憶と上野で見た目の前の話がタイムスリップして突如して繋がったような不思議な感覚でした。

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シドッチ神父とは、キリスト教禁制下の江戸時代に宣教の使命感から屋久島に到着。数日で捕まって、長崎、江戸へと送られた後、幽閉されて亡くなったというイタリア人宣教師です。

う~ん、当時よくわらかぬ極東日本を訪れてまで禁止されているキリスト教を普及させようなんて、死を覚悟でいらしたのでしょうに、どのような志があったのか、かなりのモノ好きにも見えますし、宗教とはそういうものなのかなとも思います。

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江戸に送れらた時に尋問役だったのが儒学者の新井白石さま。

尋問するはずが(したのでしょうが)、シドッチ神父と話を重ねているうちに、その博学ぶりと人徳に白石先生は感銘を受けシドッチ神父に敬意を抱くようになったと。それはまたシドッチ神父にとっても同様で、白石先生とシドッチ神父は互いに尊敬していたのだそうです。

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幕府が白石先生にシドッチ神父の処遇についてアドバイスを求めたところ、白石先生は

「イタリアに送還されたし~」

と進言したにもかかわらず、幕府は

「ならぬ、幽閉じゃ!」

と切支丹屋敷に幽閉したのだとか。

 

幽閉中にシドッチ神父のお世話係をしていた夫婦がシドッチ神父の人格に触れ、多大なる影響を受け、なんとキリスト教に改宗。

「シドッチ神父に洗礼を受けました」

と告白したために、幕府の逆鱗に触れ3人とも地下牢に幽閉。そのまま衰弱死。時にシドッチ神父は46歳。その3人の遺骨がちょうど300年後の2014年、私たちが生きる時代に小日向から出土したというわけです。

日本人の平均身長が156cm程度だった当時、シドッチ神父の遺骨から分析すると、その身長は175-179cmほど。かなり大きかったものと思います。その特設会場には、シドッチ神父の頭蓋骨の複製、及び頭部復元像が展示されています。それらや遺骨の写真撮影は禁止されていたのでご紹介できず、すみません。

 

シーボルト展目的で訪れた国立科学博物館でしたが、思いがけず大変興味深い話に触れることができました。幼い子の絵日記みたいですが、今日はこの辺で。

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