OPERATIONAL PERFORMANCE花研コーヒーブレイク

SF的 “人による”緑化政策

2010.03.15

初めての筒井ワールド。この年齢(とし)にして(いくつだ?)、初めて筒井康隆を読んだ。
言う人に言わせると「最初の筒井ワールドがその本?!」という一冊らしいが、一冊しか読んでいない私にはその理由はわからない。

その一冊というのは『ウィークエンドシャッフル』。選んだ理由は、人に勧められたこととタイトルが気に入ったこと。

13の短篇集から成るが、そのひとつが面白い。
 
不平不満を行った人や、野良犬など社会の害とみなされた動物たちは、捕まって足を地面に埋められ、そこから時間とともに木化していくという処罰を受けることになる。

犬の場合は最初は「犬柱」となり、人が通れば吠えたりもするのだが、時間とともに犬としての特徴を失っていき、灌木となっていく。灌木となった犬を「木」へんに「犬」と書いて「ケン」と読む。猫の場合は、「猫柱」から徐々に「木」へんに「苗」と書いて「ビョウ」となっていく。

人の場合は、「人柱」から「木」へんに「人」と書いて「ニン」へ。こうなれば完全に“人による”緑化政策。
安易に「人柱」などに話しかけ、そこを誰かに目撃されると、話しかけた方も「人柱」にされてしまう。

 
「人柱」から「ニン」に近づき、人としての特徴を失っていくにつれ表情や感情がなくなっていく。顔色も徐々に木の茶色になり、生々しい変化の様子が目に見えるよう。

本人の意識があるうちに人から木になっていく。別れた家族などを思うと、悲しさに耐えられず1日も早く木になってしまいたいと願う。
物を食べなければその分早く「ニン」になれる。感情を持ち、まだ意識のある「人柱」であることが辛いから、早く「ニン」になるために何も食べず、何も考えず、ただそこに佇む。その短篇のタイトルこそ「佇むひと」だ。
文章は淡々と進んでいくが、読んでいる方は何とも切なくてやりきれない。

温室効果ガスの排出問題などを考えても、都市の緑化政策は必須である。
人のための緑化政策に、人が犠牲になる前に、早いとこ木を植えた方がいい。

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