OPERATIONAL PERFORMANCE花研コーヒーブレイク

業界のジレンマ

2012.03.22

その昔、あるTV番組で仕事帰りの新橋のお父さんにインタビューをしていた。

“花の名前いくつ言えますか?”

 

「バラ、ユリ・・・えーっと」だいたい皆さんそんな感じ。

もう少し出てくる人で、ヒマワリ、かすみ草、カトレア。あまりの少なさに、番組の人は「皆さんお酒が入っているから、なかなか出てこないのかも?」と苦しそうに言い訳。しかし、花に携わる人でなければ実際にはこのようなところだろう。

 

それがどうした、と思われるかもしれない。

しかし、花の普及を目指している人たちにとっては忌々しき問題ではないかと思う。

 

花のファンを増やしたい、花を通して少しでも多くの人に幸せを感じてもらいたいと思うなら、やはり消費者の皆さまに花の名前を覚えていただくことが第一義ではないか。

 

異論も頂戴した。名前を覚えてもらうことが重要なのではない。名前が分からなくても花が生活の中にあることに感動を覚えてもらうことが重要ということだった。その通り。

しかし、名前を覚えられなかったらその感動を人に伝えるとき時、何というのか。今ならITが発達していくらでも写メを共有できるかもしれないが、素敵な花の写真を送ってもらったら、「この花は何だろう?」と思うのが自然の心理ではないか。或いは名前を知らずに、どうやってその花の取り扱い方法や周辺情報を調べるのか。再び購入するときはどうやって注文するのか。名前が分からなければ、そのときの感動だけでその先はない。

 

消費を促すためにはその商品の名前を覚えていただくこと、それはどこの企業でも工夫を凝らしてやっていることである。

例えば小林製薬さんのネーミングのセンスは素晴らしい。一度も使っていないのに名前と用途は知っているという、機能と結びつけられたインパクトのある名前の商品がたくさんある。他社さんでもTVCMでも聞き慣れない横文字を覚えてもらおうと、ダジャレを使ってでもなんとか人の頭に残るようPRしている。商品名と覚えていただくことが、購入に至るまでに欠かせないステージであるということは間違いないだろう。

 

翻って花の名前はどうだろうか。

ある社会言語学の先生が以下のように苦言を呈していた。

「アジアンタム、オオニソガラム・・・といったカタカナ語を見て、すぐにその言葉としての意味を理解できる人は日本にはまずいない。従って、花のイメージなど浮かぶはずもない。これらは単なる符牒(業界用語)にすぎず、花好きの一般の人にとっては大問題。コスモス、ヒヤシンス、チューリップなど昔から多くの人が慣れ親しみ、ほぼ日本語と化しているようなものならまだいい。しかし“デルフィニウム”など一度聞いただけで覚えられるものか。“飛燕草”(ひえんそう)と聞けば一度で覚えられる。(デルフィニウムの)花を良く見ると、燕が飛び交っている印象を付ける花で、よくぞその名前を付けたと感心するほどの傑作。江戸時代から胃腸の生薬として使われ、一度飲めばその効能が「現の証拠」だからと名付けられたゲンノショウコは、花屋さんでは“ゼラニウム”と呼ばれる。このカタカナの羅列に何の意味があるのか」

生活スタイルが西欧化するに従って、生活空間におしゃれな花を取り入れようと、学名や英名に由来した横文字のカッコイイ名前を付ける。僭越ながらこれは間違いではないと思うが、これが重なりすぎて、逆に覚えてもらえないという現象が起きているのではないだろうか。例えば、切り花のアジサイが洋風に使われているからといって、「ハイドランジア」という名前であった方が普及していただろうか。

符牒にしか見えない名前は数え切れない。

オキシペタラム・・・ブルースターならまだしも、名前を聞いてこれを初めて聞いた人は、聞き返さずにはいられないだろう。

セントーレア・・・なんて言われた日には、空港の名前かどこかの県のマスコット名かと思う。花業界にいたとしても“はにゃ?”となる。これはヤグルマソウのこと。

ウスネオイデス、オクラレルカ、クルクマ、ラナンキュラス、エピデンドラム、アルストロメリア、カンパニュラ、スカビオサ・・・花業界の人にとっては当たり前の名前も、消費者にとってはギリシャ語かアラブ語に聞こえるだろう。たとえ自称花好きの人にとってもだ。

 

一方、トルコギキョウなどはリシアンサスやユーストマなどの別名があるにもかかわらず、一般の人の間では「トルコギキョウ」が定着。桔梗とは関係ないが、頭の中で何か結びつくものがあるのだろう。

良く考えれば、新橋のサラリーマンから出てきた「バラ」も「ユリ」も日本語由来の名前である。

(バラは「イバラ」、ユリは「揺る」から。風に揺られ可憐に咲いている姿を愛でたことから生まれた名前ではないかと推測している。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という通り、美人が「動く(=揺れる、揺る)」様子を喩える象徴的な花となっている)

 

とりわけ現在の花の消費を支える50-70代の人にとっては、花の名前が親しみにくく、覚えづらいことが業界にとっては大きな悩みなのではないだろうか。好きな花の名前がえーっと、えーっと出てこなかったら「ほんとに好きなの??」となりかねない。

花の名前が覚えられないのは50-70代だけではない。各地で花育が盛んに行われているが、幼い子たちは未経験な文字の羅列をどうやって頭にインプットするのか。

人に花をあげたときに「この花の名前は何?」と聞かれて、名前がわからなかったらその花は忘れ去られるだろう。花のファンを増やすためには、まず花の名前から覚えていただくことが第一歩なのだ。しかし、日本の花き業界全体で使い始めたカタカナ名を今更日本名に変えるのは難しい。引き返せないもどかしさがある。

 

ライフスタイルの西欧化に合わせたネーミングの適応の早さという長所が、消費者への伝達障害となっている。ここが花業界の一つのジレンマになっているように思える。

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