OPERATIONAL PERFORMANCE花研コーヒーブレイク

モノからココロへ

2018.04.18

消費は「モノからコトへ」と言われて久しくなります。恐らく20年近くになるのではないかと思います。

「モノ」の時代、つまりモノの需要が高かった時代は物資の不足感があり、作っては売り作っては売り、それが経済成長に繋がりました。

ところが、この不足が満たされ過剰に転じる転換期がありました。この頃から経済成長が鈍化します。生活者にとってモノは足りていますから、思うようにモノを買ってくれません。「ミスター円」と呼ばれるエコノミスト榊原英資氏の著書に、過剰の時代に入ったのは1997年からではないかと記されています。こうなると、もう不足感を満たすための単純な生産活動は通用しなくなってきます。不足の時代はモノをいかに効率的に生産するかを考えていましたが、過剰の時代に入ればいかに消費を促すかということを考える必要があります。

 

確かに花き産業も国内生産は1996-1997年にピークを迎えています。(2016年の生産量は2006年の65.4%、農林水産省の統計より算出)

市場取扱高も1997年がピークです。(日本花き卸売市場協会データより)

1世帯当たりの切花支出金額も、1997(平成9)年が最も多くなっています。

1997年には生産、流通、消費の全てにおいて(特に切花)成長が横ばいになり、2000年ころから生産活動ばかりでなくマーケティング活動にも力を注ぐようになります。日本フローラルマーケティング協会設立(2000年)やIFEXがスタート(2004年)、鮮度保持の取り組みが活性化し始めたのも2001-2002年ころからです。

時を同じくして、花トレンドのイニシアティブは川上から消費者・小売りなど川下に近いところに移っていきました。トレンドメーカーが移行していった現象は花業界単独のことではなく、日本の経済全体の動きが背景にあったのです(考えてみれば当然ではありますが)。

 

「モノからコトへ」と言われるようになったのは、この生産不足から過剰に転換した、ちょうどこの頃ではないかと思います。

ここで思うのは、「コト」というのはつまり「ココロ」なのではないかということです。不足の時代は物質的に満たされることにニーズがありますが、モノに不自由しない成熟社会では、心が満たされることのニーズが高まります。つまり「モノからココロへ」ということではないかと。

一時言われた「絆需要」や「体験型消費」、「ご褒美消費」、さらにいえば「エシカル消費」などもココロを満たすための需要・消費が名前を変えただけではないかと思います。成熟社会を迎えた日本では、一般論をいえば物質的な不足を満たすことにニーズはほぼないでしょう。「若者の●●離れ」などと盛んに言われますが、●●とは特定の何かではなく、または若者ばかりのことをいっているわけではなく、モノで満たされない生活者全般のことをいっているのではないでしょうか。

 

これからは、モノに不自由しない成熟した社会で生きる生活者のココロをいかに満たすかを意識しなくてはなりません。花ももちろんココロに訴求できる大きな可能性のある社会的消費財だと思っています。

総論としては“生活者にとって花きは足りている”ということを前提にしつつ、花があればいかに幸せを感じることができるか、楽しさを感じるか、心が安らぐか、慰められるかという切り口でご提案していく必要があると思うのです。

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